Loading the player...


INFO:
「鍵、ちゃんと閉めときなよ」酔い潰れた私に、元カレは言った_私はソファの上で寝返りを打って「なんでいるの?」と聞いた_「みんな、家わからないって言うから」元カレはそう言って、私に毛布をかけた_「だからって、元カレに介抱を頼むとかみんなひどすぎ」「みんな、俺らが付き合ってたこと知らないでしょ?」「ええ、気づいてるよ?」「そうなん?」「だって、となりの席にされたのわざとだよ?」「じゃあみんな、別れたことを知らないのか」「それは、わかんないけど」私はそうつぶやいて、ゆっくりと身体を起こした_「もう平気そうだね、鍵はここに置いとくから」元カレはそう言って、本棚の上に鍵を置いた_「私、そこだと届かないんだけど?」「背伸びしたら届くでしょ?」「私、酔ってるんだよ?」「酔ってないくせに」「え?」「ぜんぜんお酒の匂いしないよ?」「ちゃんと、私の顔見てる?」「顔が赤いのは、よく使ってたチークを濃くしてるだけでしょ?」「怖いって、チークの色なんか覚えてんの?」「ううん、思い出しただけ」元カレはそう言って、カバンを手にした_「それじゃあ、お邪魔しました」「待って」元カレは、ゆっくりと振り返った_「さっき飲み会で、好きな人いるって言ってたけど、それって彼女?」「うん、彼女、でもこれで別れることになるだろうね」「これって?」「元カノの家に上がったとか、彼氏として最低でしょ」「私のせいだね、ごめん」「わかってて、嘘ついたくせに」「そっちだって、わかってて私を背中に乗せた」「やっぱり俺らはさ、嘘を付き合わないと本音を探れないんだよ」元カレはそう言って、カバンを肩にかけた_目を合わせることなく、玄関に向かって歩き出した_私はソファから起き上がって、元カレを追いかけた_「なに?」「鍵、閉めときなって言ったのはそっちでしょ?」「ああ、ごめん」元カレはそうつぶやいて、靴紐を結んだ_元カレと別れた日、あの日は出て行く元カレをリビングから眺めていた_喧嘩して出て行ったくせに、元カレはちゃんと合鍵で鍵を閉めた_あのときの合鍵は『ごめん、捨てた』と、さっきの飲み会で言っていた_元カレは立ち上がって「あのときは、喧嘩して言えなかったけど、いままでありがとね」そう言って、すこしだけ微笑んだ_ドアが開いて、私も「ありがとう」とつぶやいた_その瞬間、私は涙が出そうになった_私は密かに、仲直りをしないことで元カレと繋がれている気でいた_元カレは顔を上げることなく、ドアを閉めた_鍵は、動かなかった_つぎは自分で、鍵を閉めた_明るくなり始めたリビングで、私は本棚の上に手を伸ばした_上げたかかとが、元カレに抱きつくときと同じ高さで、涙がこぼれた_にじむ視界の中で、鍵を手に取った_鍵には、付箋が貼ってあった_そこには『合鍵はちゃんと回収すべきだよ、俺みたいなやつが勝手に使うから』そう書いてあった_私の鍵は、ポケットに入ったままだった_「元カノの合鍵を、ずっと持ち歩いてたとか気持ちが悪いよ」私はつぶやいた_店の前で元カレは、私を背中に乗せてくれた_『寝たフリだったら、2度と信じないから』あのとき、元カレの首からは香水の匂いがした_それは、当時愛用していた香水の匂いではなかった_元カレに密着しておきながら、私は変わってしまった元カレとの距離を感じた_そんな香水の匂いが残るリビングで、私は毛布に顔を埋めた_「みんなごめん、やっぱり素直になれなかった……」どんなに後悔をしても、私の手のひらには返された合鍵があった_さっきの飲み会で、元カレは『好きな人? いるよ』と言っていた_そしてこの部屋に来て、それは『彼女』と口にした_でもそのあと『やっぱり俺らはさ、嘘を付き合わないと本音を探れないんだよ』と言った_元カレがついた嘘は、どこまでだったのか_どんなに考えても私は、真実には辿り着けなかった_ただひとつ、リビングに漂う香水の匂いだけが、私を答えに導いた_『俺もほしい』喧嘩をする前の日、まさか別れるとは知らない私たちは、お互いに香水を選んだ_『愛用のやつ、まだ残ってたじゃん?』『いいから、俺にも選んでよ』いまになって私は、思い出してしまった_彼がリビングに残したのは、私への未練と、彼が愛用したかった、ベルガモットの香水の匂いだった_